時空モノガタリ-感想録

2000字小説投稿コンテストサイトの「時空モノガタリ」でコメントした内容を記録しています。

いまのひとこと 読まねば

第164回 時空モノガタリ文学賞 【 着地 】

1 題名 

未来人田中

2 作者 実さん
3 投稿 19/01/05
4 書出 『田中はいつにも増して憂いていた。』

 

『人間で作られた車』というものがどんな外観なのか想像ができませんでしたが、きっと作者様にはイメージが浮かんでいらっしゃるのだろうと思いました。

 

 

『田中はいつにも増して憂いていた。なぜならいつまで経っても車が動かなかったからだ。車といっても多くの人が考え想像するような車ではなく、人間で作られた車であるという点を除けば確かに普通の車であることに違いはなかった。が、ここは100年後の日本であるのでそんなことも有りうるのだ。』

 

……この冒頭だけで読書欲が一気に減退する感覚に落ち込みました。

自分の心を落ち着けるためにも、少し文章を分解して理由を整理したいと思います。

 

まず、第一文の『田中はいつにも増して憂いていた。』ですが、憂い、に引っかかるものを感じます。

憂の動詞は憂える、ではないかと思うのです。憂い、は名詞です。ですので、ここでは憂えていた、となるのではないかと。

ですが校正すれば最も目を通すであろう文頭に、誤記があるとは考えにくいので、作者様はあえてこの表現を選んだということになります。

なぜ?

 

次に第二文の『なぜならいつまで経っても車が動かなかったからだ。』ですが、過去形が気になります。現在進行形で憂慮する事態であろうかと思いますが、あえて動かないから、ではなく、動かなかったから、とされた理由がわかりません。

 

次に第三文の『車といっても多くの人が考え想像するような車ではなく、人間で作られた車であるという点を除けば確かに普通の車であることに違いはなかった。』ですが、読点を挟んだ前後で文章が繋がっていないように思えます。これは接続の仕方がおかしいのではないかと。前半の『車といっても多くの人が考え想像するような車ではな』い(この表現も雑ですが……)、という文を受けて、とはいえ、しかし、といった言葉が付くべきではないでしょうか。確かに、の意味がわからなくなっています。

 

最後に第四文の『が、ここは100年後の日本であるのでそんなことも有りうるのだ。』ですが、前文の後半との繋がりが強引……というか日本語としておかしい気がします。『が、』て……

またweb小説も盛り上がる昨今にあって非常に個人的な好みになりますが、わたしは小説は漢数字であった方が読みやすいです。一般書籍が基本的に漢数字だからだと思います。加えて本作のような『のだ』の使い方は、字数稼ぎが目的の学生が原稿用紙に感想文を書いているような稚拙さを感じさせます。

 

 

作品全体を通して、国名や地名を現実のものとして掲げる場合には主観やメディア情報だけでなく、きちんとした取材と根拠に基づいた作品作りが最低限の礼儀であることを作者様がご理解される日が来ると良いと感じました。

 

残念ながら楽しみ方がわからない作品でした。