第168回 時空モノガタリ文学賞 【 レシピ 】
1 題名
私をおいしく食べる方法
2 作者 W・アーム・スープレックスさん
3 投稿 19/04/16
4 書出 『五人は眼前にそびえたつ大江山をみあげた。』
無理難題を提示して逃げる隙をうかがうのかと思いきや『神通力でみつけだせる』というのは恐怖ですね。素材が揃わないとわかった鬼がどう行動するのか気になる終幕でした。
主君の命令で鮎の粕漬を仕入れに来た主人公は、途上の山中で鬼に襲われる。同行者全員が丸呑みされ、主人公も鬼の住処に連れ去られる。主人公は鬼に、自分を「おいしく」食べるには100種類に及ぶ食材と器具が必要であると吹き込むことで、鬼がそれらを探す期間に限定して解放される。
神通力、とは……
異形の存在に食べられそうになるものの、機転をきかして九死に一生を得る――
『ヘンゼルとグレーテル』でも『三びきのやぎのがらがらどん』でも活かされたこの展開は、まさに王道と言って良いでしょう。
本作では山中で鬼に遭遇し、仲間4人が丸呑みにされるところに主人公は遭遇します。結構なトラウマ体験です。
その後、鬼は『「さすがに腹がふくれた。おまえは後で食べることにする」』と告げて、主人公を巣に連れ帰ります。この際、主人公を殺したり、足を折ったり、喉をつぶして運搬するようなことはありません。鮮度を重視したのかもしれません。
主人公はそんな鬼の気を引くために、非常に手間のかかる調理法を提案します。
ここで不思議なのが、『「私をおいしく食べる方法を教えてあげましょうか」』という主人公の提案を、鬼が何の疑問もなく受け入れている点です。普通は「何でそんな提案をわざわざするんだ?」という疑問がわくようなものですが、鬼にはそれがありません。個人的にはこの不自然さが気持ち悪く感じられます。
例えば、鬼が食道楽であることを暗示するような描写があったり、「実はわたしには毒があるんです」とか「わたしも名のある料理人です。どうせ食べられるなら美味くなくては納得できません」というようなセリフでもあれば、多少は緩和される気もするのですが、そういったところはお構いなしで、話を進めることが第一優先のように思えました。作者様はこの点をどう考えていらっしゃるのでしょう?
人間必死になったらこのぐらいのことは考えつくものかと思いながら書きましたが、鬼がグルメであってくれたことがもっけの幸いでした。
作者様のコメントによると鬼がグルメかどうかは賭けだったようです。
つまり、主人公が提案したところで「ほう……そうか。例えば、指先から食べたほうが良いのかな? ……ふうむ……確かに、小指の歯ごたえが小気味良いな。どうした? わあわあ騒いで小便なぞすると、喉仏が喰いとうなるわい。ひっひ……」というような展開もあり得たわけです。恐い。
そうなると、イチかバチかの大勝負に出るにしては、主人公の緊張感が漂わない文章がやや残念でなりません。
結末に対しては感想欄でコメントしたとおりで、鬼が図鑑をコンプリートするがごとく、意地でも「100種類集めてみせるゼ! ゲットだぜ!」という根拠も保証は何もないわけで、いつ戻ってくるかもわからないなかで『忠吾は、おちついた足取りで大江山をくだりはじめた』という文章に主人公の大物感が漂います。
というか、「任意の対象者の居場所を特定する」神通力を持っているのであれば、もっとやりようがある気がするんですよね。
さらに言えば、鬼は探索の道中で必ず人間を食べちゃうと思うんですよね。お腹がすいて。だとすると、大江山だけで収まっていた食人被害を全世界に解き放ってしまった主人公の負う責任は重いものがあるなあ、と感じずにはいられず、元を正せば主君のせいだなあ、とも思えて、登場人物が総じて魅力的ではない点も本作の特徴に思えました。
最後に、時代物のような風情でありながら『SP的存在』、『ボディガード』、『北海道産』といった用語が唐突に出現し、作品が掴みづらく感じられました。