時空モノガタリ-感想録

2000字小説投稿コンテストサイトの「時空モノガタリ」でコメントした内容を記録しています。

いまのひとこと 読まねば

第166回 時空モノガタリ文学賞 【 おくりもの 】

1 題名 

宝島より愛をこめて

2 作者 クナリさん
3 投稿 19/02/19
4 書出 『少し昔の、ある田舎町の話だ。』

 

『そんなに好きではな』かったパンを、幸せな光景と結びつけて拠り所としていく主人公のいじらしさにぐっときました。また他者に依存するのではなく、『もし僕にもパンが作れたら』と、あくまでパンに携わることで自ら幸せを掴もうとする芯の強さが『さらにおいしいパンが、所狭しと並んでいる』という自信に満ちたラストに繋がったのかと思うと熱いものを感じました。

 

◎あらすじ

 家庭内暴力を受けている中学生の主人公が近所のパン屋の夫婦に惚れ込む。ただ、泣きつくわけにはいかないという意地から次第に距離を置くようになる。その内、暴力の源泉であった父親が家庭に興味を失って暴力が止む。ある日、主人公の家にパン屋のレシピが投函され、主人公はパン屋が父親と談判していたこと、既に町を去ったことを知って泣く。今は主人公はパン屋を経営している。

 

◎感想

 良い話ですよね。
 個人的にそう思います。正直なところ、おそらく本作を読まれる多くの方がそう感じるんじゃないかとも思っています。誤字脱字や、違和感を覚える表現、ましてや自作品の登場人物の名前の間違いのようなストレスがないことも読者としては内容に集中できてありがたい限りです。


 さて、本作で何より印象的だったのは父親の設定の苛烈さです。

 

 ちょっと作中に出てくる父親絡みの文章や主人公の家庭環境を示唆する文章を抜き出してみましょう。

 

『僕の家は町の誰よりも大きかったけれど、暖かい場所はひとつもなかった』
・(主人公の)『土日は習い事で平日より忙しい』
『家では母が毎日、体のあちこちを腫らせて泣いている』、(主人公も)『体中の痛み』、『手足の痣』『父の仕業だ』
『父は、町の偉い人たちと仲がよくて、父に逆らえる人はいない』
『父の暴力に対して、僕はもう限界に来ていた。体の痛みよりも、屈辱の方が辛すぎた』
『父の暴力はやがて収まっていった。代わりに、母と僕への執着も失われ、家の外にも家族を作ったようだった』

 

 父親は一体、何者なのか? 高利貸か何かなんでしょうか?

 

『逆らえる人はいない』とあるので相当な有力者なんですけど……「ヤ」のつく稼業かもしれませんが、そんな方が『田舎町』で何をやっているんでしょうね……すごく、犯罪臭を感じますね。

 もしかすると、『ワンピース』(尾田栄一郎集英社,1997.)でいうところのアーロンですかね……

 意外とお医者さんだったりするかもしれませんね。『田舎町』の医師会ほど、君臨してる、ていうイメージが強い職種もないですし(偏見


 閑話休題

 とにかく、主人公は屈辱的な暴力を振るわれているわけです。

 

 ……屈辱的な暴力、てなんでしょう?

 

 暴力を受けること自体が屈辱なのか。「親父にもぶたれたことないのに!」的な……いや、今まさに親父に殴られてるんですけどね。まあ、暴力は嫌ですよね。同感です。

 

 あるいは、主人公は真剣な殴り合いのつもりなのに、父親がヘラヘラしながら、かわしたり、殴ったりしてきて、「今のは全力の30%くらいだな。お前には100%出す価値すらない」みたいなことを言われて、「俺の……俺の拳を貶しやがったな! 忘れねえっ……この屈辱を、俺は! 生涯! 絶対に!」って感じでしょうか……この父子の確執は相当、根深いですね……

 

 そういえば、主人公は習い事もしているんですよね。
『土日は習い事で平日より忙しい』とあるので、舞台になっている『田舎町』はかなり人材に恵まれているようです。お茶やお花、日本舞踊。あるいはピアノやバイオリン、三味線。もしかすると、水泳やダンス、フィギュアスケートかもしれません。ボクシングやシラット、カポエイラも捨てがたいですけど……父親にね……勝たないといけませんから……(まだ言う


 再度、閑話休題

 結果的に父親から主人公や母親への暴力は『収まっていった』そうです。

 

 めでたしめでたし、なんですが、『代わりに、母と僕への執着も失われ、家の外にも家族を作ったようだ』と続くと、え……新たな被害者が? となってしまい少し不安が残ります。

 

 何より、パン屋の夫婦が不憫ですね。

 

 母親のセリフによると、『あなたのことでお父さんに何度も談判しに来たらしいのよ。それでこの町にはいられなくなって、よそに移ったんですって』とあって、南仏風の店舗は更地にされてしまいます。されてしまう、というか建物の所有者が、更地にしようと決めたんでしょうけど。

 

 ご夫婦が一体、何を『談判』していたのかはわかりません。

 母親のセリフには『あなたのことで』とあるので、「主人公を解き放て! 主人公は人間だぞ!」みたいなお話があったのかもしれません。父親は「黙れ小僧!」と言ったでしょうか?

 ……それはわかりませんが、仮に「息子さんに暴力を振るうのはやめてもらえませんか?」と直訴したと仮定しましょう。父親はどう反応するでしょうか? まず間違いなく、激高することはないでしょう。こういう人間は、相手の理論立ての甘さを見逃さないはずです。要は以下のような対応ではないかと。

 

「愚息が何か言いましたか? ほう。『何も言っていない』? なら、ご両人はどうしてこちらにいらしたんですか? 『見ればわかる』? 何をご覧になったんですか? 息子が気落ちしていた、と。それで、どうして暴力のお話になるのか……どうにも理解できませんな。ご自身のご経験ですか? いや、失礼。わざわざ語るようなものではありませんでしょう。お辛かったでしょうね。ご夫婦間では大変、仲が良さそうで結構です。とはいえ、幼少期の歪んだ経験というものは、いつ牙を剥くかわからない、という話もございますから……言えないこともおありでしょう……いや、これは余計なことを申しました。人様のご家庭の事情を推し量るなど、下衆の勘繰り、というものですから……ハハハ……ええ、下衆の勘繰り、そのものですな……ではそろそろ、お引取りいただけますか?」

 

 こんな感じですかね。

 この父親が不幸になればいいのに、と思わずにはいられませんね。

 

 それで結局、パン屋の夫婦は何度も『談判しに来た』そうなんですが、これ以降、何を話したのかは謎ですね。最終的には、町を去っているので、お客さんが来なくなったのか、賃貸物件ならば地主に追い出されたかもしれません。(それなら法的に争えるでしょうけど)

 

 でも不思議なのは母親が『それで気が済んだのね、お父さんは』と締め括っているんですが、父親がパン屋を追い出して晴れやかな気持ちになったことをここで言い添える意味がよくわかりませんね。

 

 このセリフが、母親と主人公に暴力を振るわなくなったこと、を指しているとは考えにくいんですよね。だって、父親が暴力を振るわなくなったのは、『家の外にも家族を作った』からですよね? パン屋の談判は暴力解決にはあまり関係していないというか……むしろ、主人公という常客が1人減ったことで、売り上げは微々たる影響を受けたでしょうけど……

 

 結局、母親にとっての父親は、自分達に執着がなくなっても、別の家族を作っても、常に心情を慮ってしまう存在だ、ということなんですかね……