時空モノガタリ-感想録

2000字小説投稿コンテストサイトの「時空モノガタリ」でコメントした内容を記録しています。

いまのひとこと 読まねば

第165回 時空モノガタリ文学賞 【 弾ける 】

1 題名 

風船のものがたり

2 作者 白*hakuさん
3 投稿 19/01/27
4 書出 『自転車の空気入れで、ぼくは赤い風船を膨らませていた。』

ナイフ少年と同様に、どうして主人公が風船を膨らましているのかわたしも気になりました。

 

本作は、通り道で赤い風船を膨らませる主人公が、別の少年に敵視されながらも、風船を膨らませるのをやめないお話です。

 

上記の感想を書かせていただいて、作者様にコメントをいただけました。

 

こんな風に自分の膨らませた物語が誰かの手元に届く。それを風船に置き換えて書きました。ときに批判や中傷に晒されることもあるけれど、それでもなぜだか物語を書かずにはいられないのです。少年が風船を膨らませるように。

 

作者様がおっしゃりたいことは、ぼんやりと理解できます。

ただ、本作では描けていないと感じます。

 

何より、作中の少年が『「空に飛ばす。誰かに届くかもしれない」』と言って、赤い風船を膨らませる理由が見当たりません。

あえて挙げようとすると『隣町の片隅で風船を売っていた、ひとりの少年』に感化された、ということになりますが、そもそも何に感化されたのでしょうか? 誰にも見向きもされないのにひたむきに風船を売っていた姿でしょうか?

でも少年は『「これは売り物じゃない」』と断言している。

行動そのものでしょうか?

そうだとすれば主人公もまた『町にとても似つかわし』い風船を選ぶはずです。

 

作者様は「物語を膨らませること」と「風船を膨らませること」を置き換えて描かれたかったようですが、『頭のなかに物語を描き、空気とともに風船に注ぎ込む。』と書かれている時点で、置き換えはできないように思われます。(同じことを書いているだけでは……)

 

あとこれは蛇足ですが、『「この風船は誰も触りたくないだろうね。君の唾がついているから。みんな風船から離れていく」』というセリフは、主人公にとって『赤い風船』が消耗品扱いになっているように感じられてなりません。

 

主人公の『ぼく』そのものが作品でない以上、『ぼく』=作者、『赤い風船』=作品、という見方にならざるをえませんが、作品を量産すればいつか誰かの元に届く……物量で勝負だ! と言わんばかりの展開には疑問を感じてしまいます。