時空モノガタリ-感想録

2000字小説投稿コンテストサイトの「時空モノガタリ」でコメントした内容を記録しています。

いまのひとこと 読まねば

第165回 時空モノガタリ文学賞 【 弾ける 】

1 題名 

その花は、さっきより少し鮮やかに見えた

2 作者 陽川 文実さん
3 投稿 19/02/03
4 書出 『ゆるやかな坂を上った先に、その神社はある。』

余命を告げられる絶望感や、当事者でありながら何もできないという無力感に押しつぶされまいと、健気に振る舞う二人の姿が痛々しかったです。コンテスト開催時期とのギャップもあり、『なにもかもが楽しい出来事なのかもしれない』と思い込まずにはいられない舞台設定に、どこか夢幻にも似たものが感じられ、辛い内容を少しやわらかく受け止めることができました。

 

本作は、余命一年と宣告された恋人と、夏祭りに来た主人公が「心の支えだった、『夏祭りに来ること』が達成されちゃったら、もう彼女に目指すものがなくなってしまうんじゃないか……?」と不安になるものの、花火を見た彼女が「来年も花火を見よう」と笑うのを見て、新たな目標に目を向けないと、と気持ちを新たにする話です。

 

 

余命……これもまた、多くの感動作を生み出してきた要素です。

そして、どうしようもなく辛い現実でもあります。個人的に、執筆を志す皆様にはこの、非常に辛い現実であるという点を臓腑に飲み込んでから、筆を持っていただきたい。飲み込めないのであれば、きちんと咀嚼してから吐き出してほしいです。表面を舐めるような形式的な解釈は駄作を量産する結果となります。

 

ちなみに、関係ありませんが『生きる』(映画,監督:黒澤明,1952.)は胸に迫る映画でした……ああ、何だか今でもシーンが思い浮かびます。

 

本作では【弾ける】は、①シャボン玉、②主人公の不安、③花火、といったものの表現として活かされているわけですが、②が少し疑問なんですよね。

 

ヒロインが祭り会場で楽しげにシャボン玉を膨らませる。その横顔を追っていた主人公は花火の轟音の中、『唐突に、恐ろしいほどの不安に襲われ』る。

なぜか?

 →『この祭りが終わったら、彼女は何に縋って生きていくのだろう』

  →『何を目的にして生きればいいのだろう』

   →『宣告では残り半年。けれど、目的を失くした今、彼女は』

 

『胸の内でシャボン玉が弾ける』

 

……何というか、ヒロインが頑張っているだけなんですよ。この作品は。ヒロインがひたすら健気なんです。体が辛いだろうに、二人で楽しめる思い出を目標にしたり、浴衣も、祭り会場も、シャボン玉も、花火も……本当に楽しそうに振る舞ったり!

 

そのくせ、主人公は何もしてないんですよ! 頑張るヒロインに感動して涙流したり、自分も頑張らないとな、とか思いを新たにしているんですけど、もっとヒロインのために何ができるかを考える方向に思考がシフトチェンジしないのかと思うんですよね……

 

もちろん、恋人の病状に打ちひしがれるのはわかりますし、そこで見栄を張らずに素直な姿でいられることも大切な特質なのかもしれませんけど、この主人公にはほとんど好感を抱けないのが問題で、まあ、ひたすら、ヒロインが健気です(二度目