時空モノガタリ-感想録

2000字小説投稿コンテストサイトの「時空モノガタリ」でコメントした内容を記録しています。

いまのひとこと 読まねば

第165回 時空モノガタリ文学賞 【 弾ける 】

1 題名 

美しい姉妹

2 作者 秋 ひのこさん
3 投稿 19/02/07
4 書出 『姉が笑うと、きらきらまばゆいものがぱっと飛び散る。』

【弾ける】を考える時、周囲に影響を与えずにはいられまいという視点が興味深かったです。『私は計算高い子供だった』と言い切る主人公に個人的には特に魅力を感じました。作中を通して第三者であろうとしながらも、結局は姉を『あの人』と呼ぶことしかできないポジション……そんな主人公の主体性のなさこそが、他者の情動を揺さぶる姉との決定的な違いを生み出したのだろうと思えました。

 

本作は、弾けるような笑顔で他者を惹きつけてしまう姉と、その容姿を蔑む、顔かたちの整った主人公達家族の確執を背景に、姉の幼少期~結婚式当日までを描いた作品です。

 

着眼点に感心させられたはずなのに、物語そのものに満足できないのはなぜでしょう?

そんな疑問の答えが、作者様のコメントで少しわかりました。

 

この話は、母が主人公、姉が主人公、で何度も書きなおし、最終的に妹を登場させてなんとか形になりました(^^;)。

 

このお言葉にモヤモヤが腑に落ちた気がしました。つまり、わたしのモヤモヤは主人公が語り部に特化しながらも宙ぶらりんな存在であることに起因しているのではないかと思うのです。 

 

本作の基本は、不細工な姉と、容姿の美しい母の対立です。

 

というか、母親が一方的に敵視しているわけですが……なんで? とも思いますね。まあ、自分の美意識に合致しないものを排除したいという気持ちを持つこと自体は理解できるのですが、『美しい母、美しい父をもつ私の顔は、別の男の血を色濃く引く姉とは似ても似つかない。母は「私たち」と「姉」を区別することを徹底した。』ともあるので、おそらく母親にとって、姉の容貌は何かしらの苦しさを感じさせるものだったのでしょう。無理強いされた出産、とかですかね……なんだか、こういう推測の作品が多いですね……つらいです。

 

話を元に戻しますが、作者様は物語の進行役として主人公(妹)を登場させました。対立構造である以上、姉と母のどちらかの視点に固定することは難しかったのでしょう。ところが、この主人公の立ち位置が波紋を呼びます(わたし個人に

 

主人公は幼少期に姉の笑顔を『ひまわりみたい、太陽のよう』と評しています。かなり好意的な反応です。ということは、主人公は姉の味方だったのかしら? と思いがちですが、実はそうはなりません。

 

主人公はその後、『母曰く』、『美しい母は、(中略)蔑むように口の端を少し持ち上げる』、『どれだけ家で虐げられても』など、母親からの虐待を淡々と語ります。ここで本人がどのように動いたか、感じたか、などは明記されていません。幼少期は保護者の言動に強く影響を受ける、といった言い訳がましい描写も一切ありません。

 

ただ、『無表情のお姉ちゃんの顔を見すぎて』という言葉に表れているように、姉にとっては主人公もまた、心を許すことのできる存在でなかったことがうかがえます。

 

そして現在に至り、主人公は三年付き合った恋人らしき人物と、『親族枠じゃないっていう条件で出席』した母親と姉の結婚式場で会話をしています。主人公は母親に対して、姉が如何にして今の笑顔を取り戻したのかを、またしても淡々と――それでいて母親をある面では非難するようなかたちで――語ります。主人公は姉の味方になれたのか、と思いますが、実はそうではありません。

 

ここで主人公が姉を指すときに使う『あの人』という単語は、結局のところ、主人公と姉の心理的な距離を表しているのでしょう。主人公は自身が計算高いことを理解しています。母と違って姉を受け入れられる自分、を自己評価している部分もあるはずです。主人公が語り役に徹しきれず、公平な観点を捨て、自己擁護と他者への非難をにおわせる……これこそがモヤモヤの要因ではないかと思いました。

 

そんなことを考えると、読後感じるのは、埋まりようのない隔絶した人間関係に対するやるせなさです。

 

ちなみに本作で最も「えぇ……」と引いた部分は、『「私たち、さっき行って挨拶してきたけど、お母さんは駄目だよ」』という主人公のセリフです。『26からつきあって3年になる』、『ユウヤ』氏がどういう立ち位置の人間か知りませんが、母親とほぼ絶縁状態かつ、主人公との関係もあやしい姉の結婚式に恋人(婚約者?)を『親族』として同伴する思考が理解できません。

 

あと蛇足ですが、父親がなおざり過ぎませんか?